第11話 同じ物件を見ているのに、なぜ話が噛み合わないのか? ―― 見えない言語を翻訳してみた

2026/02/05

 
 
不動産取引の現場に立っていると、
売主様、買主様、そして銀行が、
同じ日本語を話しているはずなのに、
まるで違う言語で会話をしているように感じることがあります。
 
言葉は通じている。
けれど、見ている景色も、
立っている時間軸も、
前提としている世界も、驚くほど違う。
 
だから取引の現場では、
ときに「翻訳」が必要になるのだと、
私は感じるようになりました。
 
 
不動産取引で語られることの多くは、
売主様と買主様のあいだにある価値観の違いです。
 
売りたい価格と、買いたい価格。
感情と、数字。
そのズレが、取引を難しくしている――
そう説明されることがほとんどです。
 
そうしたズレは、
不動産取引を語るうえで、
もっとも分かりやすい構図として、
これまで使われてきました。
 
たとえば、
バブル崩壊後、
その影響や価値観がなお色濃く残っていた時代に、
土地や建物を取得された売主様の場合、
 
現在の市場感覚からは想像しにくいほど
当時としては当然だった高い価格水準を前提に、
事業をスタートさせているケースがあります。
 
 
当時は、
今の水準から見れば
数倍にあたる価格で
土地や建物が取引されていた時代。
 
これは、私が実際の取引の現場で、
売主様が保管されていた当時の取得資料を拝見し、
時代の前提が、あまりにも急激に切り替わった現実を、
突きつけられた経験から、強く実感していることです。
 
そうした時間を生きてきた売主様が、
「これだけの時間とお金をかけてきたのだから」と
強い思いを込めて価格を考える一方で、
現実の市場は、時代の流れとともに
すでにまったく違う景色を見ています。
 
提示した金額に対して、
「そんな値段で売れるわけがない!」と
感情をあらわにされる場面も、珍しくありません。
 
 
一方で、買主様の立場に立てば、
銀行の融資姿勢は年々厳しさを増しています。
 
金利は上昇局面に入り、
そのうえ、
自己資金比率もかなり高く求められるようになりました。
 
2割、3割といった自己資金を前提に
話が進むことも、
今では珍しくありません。
 
物件の価格帯によっては、
一つの取引で、
数千万円単位の自己資金が
一気に動くこともあります。
 
それは、
数字の上の話ではなく、
買主様が長い時間をかけて
積み上げてきた資金が、
一度に投じられるという現実です。
 
「数字が合わなければ、前に進めない」
そう感じながら、
不安と焦りのなかで判断を迫られているのが、
今の買主様の現実です。
 
 
けれど、
売主様が、買主様のその事情を
詳しく知ることは、ほとんどありません。
 
そして買主様もまた、
売主様が背負ってきた時間や背景に、
じっくりと思いを巡らせる
余裕が持てなくなってきています。
 
目の前には、
融資条件、金利、自己資金、期限。
判断を迫られる要素が、
あまりにも多すぎるからです。
 
 
一方で、売主様が向き合っているのは、
数字や条件だけではありません。
 
そこには、
人生の決断、
長い年月の積み重ね、
過去への思いがあります。
 
ときには、
親の代、
そのまた前の代から、
大切に受け継がれてきた土地や建物であることもあります。
 
売主様の時間軸は、
「今いくらで売れるか」ではなく、
「どんな時間を、ここで重ねてきたか」
に、静かに根ざしているのです。
 
それぞれが、
それぞれの立場から見える
“正しさ”だけを手にしたまま、
取引の場に立っている。
 
ここまでは、
不動産取引でよく語られる構図です。
 
 
けれど、
実際の現場に立っていると、
どうもそれだけでは説明がつかない場面に、
何度も出会うことになります。
 
売主様と買主様が歩み寄っているのに、
話が前に進まない。
条件も整っているはずなのに、
どこかで止まってしまう。
 
そのとき、
取引を本当に左右しているのは、
表に立つ二人ではありません。
 
その場にいないはずの存在が、
取引の流れを決めている。
 
直接、言葉を交わしているわけではないのに、
条件を動かし、
可能性を閉じ、
ときに、結論そのものを左右する存在。
 
 
それが、
金融機関――銀行です。
 
そして、
その銀行の視線と、
真正面から向き合い続けている立場があります。
 
 
それが、
仕入れ業者(仲介) という存在です。
 
※ここでは、
本稿において扱っている文脈上、
買取再販を行う立場ではなく、
売主様から物件を預かり、
買主様へつなぐ仲介者としての立場を指しています。
 
ここから始まるのは、
売主様と買主様の対話ではありません。
 
同じ物件を前にしながら、
まったく異なる言語で語られる、
もう一つの主戦場の話です。
 
 
仕入れ業者(仲介)が見ている景色と、銀行が見ている景色
 
不動産取引において、
表に見えているのは
「売主様」と「買主様」、
そして「銀行」です。
 
けれど実際には、
そのあいだに立ち、
誰よりも強くこのズレを感じている存在がいます。
 
 
それが、
仕入れ業者であり、仲介という立場です。
 
この立場から見る景色と
銀行が見ている景色は、
そもそも“時間軸”が違います。
 
銀行が見ているのは、
「今、この瞬間の姿」です。
 
現在の賃料。
現在の空室状況。
現在の数字。
現在のリスク。
 
その物件が、
「今の状態のままで」
返済に耐えられるかどうか。
 
銀行は、
あくまで現状を前提に判断します。
 
 
一方で、
私が現場で向き合っているのは、
“この物件が“これからどう変わるか”です。
 
適切な管理が入ったらどうなるか。
入居付けの工夫で何が変わるか。
無理のない改善で、
どこまで安定するか。
 
つまり、
その物件が持っているポテンシャル。
 
現状だけで終わらない、
この物件の「伸び代」を見ています。
 
ここに、
決定的なズレが生まれます。
 
銀行は、
「今、どうか」を見る。
 
仕入れ業者(仲介)は、
「これから、どうなるか」を見る。
 
どちらが正しい、という話ではありません。
 
役割が違う。
見ているレイヤーが違う。
そして、時間の向きが違う。
 
そして、
見ている時間軸が違えば、
リスクの捉え方そのものも、変わってきます。
 
 
たとえば、銀行の場合、
 
・金利が上がった場合に、返済に耐えられるか。
・空室率が悪化したとき、資金繰りは回るか。
・修繕費が想定より増えた場合でも、債権は守れるか。
 
それは、
金利や空室率、修繕費といった、
数字として想定できる範囲の未来です。
 
 
一方で、
私たちが向き合っているのは、
まだ数字になる前のリスク。
資料には表れない、現場の違和感です。
 
・条件が良いはずなのに、なぜ空室が出始めているのか。
・そのエリアで、何が静かに変わり始めているのか。
・住む人の価値観や、選ばれ方がどう変化しているのか。
・今は満室でも、「崩れ始める兆し」はどこにあるのか。
 
それは、
現場に立って初めて感じ取れる兆しです。
 
問題になるのは、
このズレが言語化されないまま、
話が進んでしまうことです。
 
私たちは、
市場の現在と、
少し先の「未来」を見ながら、
同時に、銀行の論理とも向き合っています。
 
だからこそ、
仕入れ業者(仲介)と銀行のあいだには、
翻訳が必要になります。
 
 
銀行は、
「数字として安全か」を見る。
 
私たちは、
「現実として成立するか」を見る。
 
どちらも正しい。
けれど、
見ているレイヤーが違う。
 
このズレをそのまま放置すると、
 
・条件が通らない
・話が進まない
・買主様が混乱する
・売主様の時間が削られる
 
そうした事態が、
静かに起き始めます。
 
だからこそ私たちは、
ただ物件をつなぐだけではありません。
 
銀行が何を見ているのか。
どこにリスクを感じるのか。
どの条件なら話が前に進むのか。
 
それらを理解したうえで、
取引全体を組み立てていきます。
 
それは、
銀行に迎合するためではありません。
 
この物件が、
市場の中でどう評価され、
金融の現実の中でどう扱われるのか。
 
それを、
正しく翻訳するためです。
 
 
銀行の目線だけで見れば、
「まだ不安が残る物件」。
 
私たちの目線では、
「手を入れれば十分に回る物件」。
 
このあいだに立ち、
翻訳し、整理し、調整しなければ、
取引は簡単に止まってしまいます。
 
だから私たちは、
ただ「物件がいい」と言いません。
 
この物件のポテンシャルが、
どの前提条件のもとで、
どのスピードで、
どう現実化していくのか。
 
それを、
銀行の論理に合わせて、
一つずつ言葉にしていきます。
 
それは、
楽観でも、期待でもありません。
 
未来を、根拠に落とし込む作業です。
 
 
私は、
現状しか見ない銀行が冷たいとも思いません。
 
同時に、
ポテンシャルを見ている自分たちが
甘いとも思っていません。
 
この二つの景色は、
どちらかを否定するものではなく、
本来は、重ねて使うべきものだと思うのです。
 
その重なりをつくるのが、
仕入れ業者であり、仲介の仕事。
 
だからこそ私は、
ただ市場価格を当てはめるだけの仕事を、
自分の役割だとは思っていません。
 
売主様が背負ってきた時間。
買主様が向き合っている現実。
そして、銀行が前提としている数字。
 
そのすべてを現場で見てきた立場として、
市場の中で成立する価格と、
取引そのものを成立させる責任を、
私は引き受けているつもりです。
 
この時間軸のズレが
取引を壊さないように、
今日もその間に立っています。

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執筆者

高木 恵美

複数の業界で営業職を経験し、今は一棟収益マンションの仲介業を全国で行っています。
営業としての土台を築いたのは、リクルートでの4年間。厳しくも濃密な経験が、私の原点です。
感性を大切にしながら、物件の背景や売主様・買い主様の想いに寄り添い、同時に、数字や収支の分析など、専門性もしっかりと持ち合わせた“両輪”の姿勢で、誠実な取引を心がけています。